タイトル

2017/05/08 放送分

久々の山登り。
どこまでも続く青い空に、自由を感じた、幸せなひと時……。
  春夏秋冬、日本酒と、日本の心をこよなく愛する森澤喜義です。

1976年の今日、一人の冒険家が、人類初となる「北極圏(ほっきょくけん)12000キロ犬ぞりの一人旅」を成し遂(と)げました。その人の名は植村直己(うえむら なおみ)。
世界で初めて、五大陸全ての最高峰(さいこうほう)に立った彼が語った言葉に「私は世界で一番高い山々に登ったけれど、だからすごいとか、という考え方にはなれない。要は、どんな小さな山であっても、登り終えた後、深く心に残ることが本当だと思う」とあります。
自分の心が目標を決める……。
彼は犬ぞりでの北極点到達(ほっきょくてんとうたつ)のとき、少しでも良い絵を撮ろうと、カメラの前を一人で何度も往復したり、エベレスト登頂(とうちょう)のときは、世界一高い場所にある石を持って帰ろうと高価なビデオカメラを置き去りにしたそうです。
そのカメラは次に登ったクルー達によって無事回収されたとか。
応援してくれる人々への感謝。その生き方は最後まで変わることはありませんでした。
一生懸命、生きる時、そのひたむきな姿に人は、おしみない愛を注(そそ)いでくれるのかもしれませんね。

今宵は雄大(ゆうだい)な自然に思いをはせながら、いつもの熱燗といきましょう。
その一杯は、きっと、新たな勇気を生んでくれるのではないでしょうか。
 

 
【こぼれ話】
彼の冒険スタイルは、目標とする現地で長期間を過ごして、いわば生活順化することから始めるという独特なものでした。
この北極圏12000キロの旅でも、約五カ月間グリーンランドのエスキモー宅に寄宿し、衣食住や狩・釣り・犬との暮らし方に至るまで、極地に暮らす人々から直に学ぶことに努めたそうです。
特に犬ぞりの操縦訓練には入念な準備をしたそうです。誰も居ない大地に犬と自分だけの冒険……。お互いを想う絆も、成功への一歩だったのでしょうね。

2017/05/01 放送分

健康診断に行って来ました。
お蔭様(かげさま)で、いたって健康!元気な身体に、感謝!感謝!
  春夏秋冬、日本酒と、日本の心をこよなく愛する森澤喜義です。

1877年の今日、日本赤十字(にほんせきじゅうじ)の礎(いしずえ)となる医療結社(いりょうけっしゃ)が、誕生しました。その中心となったのは、佐野常民(さの つねたみ)。
彼は佐賀藩(さがはん)お抱(かか)えの医師の子として、当時、最先端(さいせんたん)ともいえる医学を学びました。
しかし時は幕末(ばくまつ)。軍事学(ぐんじがく)にもズバ抜けていた彼は、なんと海軍責任者(かいぐんせきにんしゃ)を命(めい)じられたそうです。
そして迎えた明治維新(めいじいしん)。そんな折(おり)、「西南(せいなん)の役(えき)」が勃発(ぼっぱつ)。
激しい戦いの中、多くの傷ついた兵士たちを目(ま)のあたりにします。
医学者としての情熱が湧(わ)き上がった彼は、「傷ついた全ての人を救うことこそ医者である」と前例の無い医療集団(いりょうしゅうだん)「博愛社(はくあいしゃ)」を創立(そうりつ)します。数千人ともいわれる兵士たちの救護活動(きゅうごかつどう)に、昼夜(ちゅうや)を問わず専念したそうです。
こうして生まれた彼の精神は、やがて国際的にも認められ、日本赤十字(にほんせきじゅうじ)へと姿を変えました。
今や、どこにいても医療の手が差し伸べられている私達の暮らし。それを支え続ける人々に感謝しつつ、日々を送りたいものですね。

今宵は日頃の健康を祝って、いつもの熱燗といきましょう。
健(すこ)やかな身体で味わう一杯は、きっと新たな活力を生んでくれるのではないでしょうか。
 

 
【こぼれ話】
佐野常民は佐賀の七賢人の一人。「日本赤十字の父」といわれ、幕末から明治にかけて、政治・産業・科学・芸術分野で日本の発展に貢献してくれた人。2004年には、佐賀県に「佐野常民記念館」が開館しています。あらゆるものに果敢に挑戦してゆくその生き方に、力をもらえる人物です。

2017/04/24 放送分

春風(はるかぜ)に誘われて、幾(いく)つもの橋を渡りながら、眼下(がんか)に広がる雄大(ゆうだい)な景色に、海のロマンを感じたひと時。
  春夏秋冬、日本酒と、日本の心をこよなく愛する森澤喜義です。

16世紀、戦国時代の瀬戸内海をひとつにまとめあげた男がいました。その名を村上武吉(むらかみ たけよし)。
1533年、海賊(かいぞく)村上一族(むらかみいちぞく)の子として生まれた彼は、乱世(らんせ)の中、武将(ぶしょう)たちにとって侵略(しんりゃく)の的(まと)となっている瀬戸内海で、このままでは滅亡(めつぼう)をむかえると悟(さと)り、海のならず者たちに優(すぐ)れた知識と戦術(せんじゅつ)を学ばせることで、日本屈指(にほんくっし)の海の軍団、村上水軍を築(きず)き上げました。
なかでも「厳島(いつくしま)の戦い」では、「潮(しお)の流れを読み、敵の位置を知り、正確に船を操(あやつ)れば、決して負ける事はない」と、2万の大群を向(むこ)うに回し、僅(わず)か4千の毛利軍(もうりぐん)を奇跡的に勝利に導(みちび)きました。
彼の戦術(せんじゅつ)は、日本の存亡(そんぼう)をかけた日露戦争(にちろせんそう)で「坂の上の雲」で知られる連合艦隊参謀(れんごうかんたいさんぼう)秋山真之(あきやま さねゆき)にも参考にされるほど優(すぐ)れたものでした。
地元で今も語られる言葉に「船に乗るより、波に乗れ」というのがあります。
まさに、目まぐるしい現代社会の中で「何が本質(ほんしつ)かを見極(みきわ)める判断力の大切さ」を私たちに教えてくれているようですね。

今宵は思いを新たに、いつもの熱燗といきましょう。
海の男たちに心馳(こころは)せながらの一杯は、きっと新しい情熱を生んでくれるのではないでしょうか。
 

 
【こぼれ話】

村上水軍の財宝についての伝説も数多く残っています。確かに瀬戸内海には、有人無人合わせて、外周が0.1キロ以上の島の数は727島(昭和61年海上保安庁調査より)もあるんです。この島々のどこかにお宝が眠っていると思うと……なんともロマンあふれる瀬戸内ですね!

 

2017/04/17 放送分

夕暮れの校舎からコーラスが聞こえてきました。
聞き覚えのある歌に元気をもらった帰り道。
  春夏秋冬、日本酒と、日本の心をこよなく愛する森澤喜義です。

高度成長が始まった1960年代、彗星(すいせい)の如(ごと)く現れた双子(ふたご)のアイドルがいました。
その名をザ・ピーナッツ。
名古屋で人気者だった彼女達は、渡辺プロダクションの社長にスカウトされ、プロの世界に入ります。
デビューに向け後(のち)に戦艦(せんかん)ヤマトのテーマ曲などを世に送り出した、作曲家 宮川泰(みやがわ ひろし)の元、当時アメリカ・ヨーロッパで流行していたポップスと日本の歌謡曲(かようきょく)の融合(ゆうごう)に挑戦します。奇跡とまで言われたハーモニーと抜群(ばつぐん)の歌唱力を武器に、「可愛い花」でレコードデビュー。
その後、テレビ「シャボン玉ホリデー」のレギュラー出演などで、瞬(またた)く間(ま)に日本中にその存在を広めていきます。
そして遂(つい)に、プレスリーや、ビートルズ、ローリングストーンズなど世界中の若き才能を見い出していた、今やアメリカでは伝説となった番組『エド・サリヴァン・ショー』に出演するなど、海外から注目されるエンターテインメントの先駆(さきが)けと、なりました。
誰もが懸命(けんめい)に働いていた時代に生まれた日本の「J-POP」。それは、今でも形を変えて世界中を駆(か)け巡(めぐ)っています。

今宵は、お気に入りの歌に耳を傾けながら、いつもの熱燗といきましょう。
心響く幸せの一杯は、きっと明日への活力を生んでくれるのではないでしょうか。
 

 
【こぼれ話】
映画「モスラ」に可愛い双子の妖精として登場し、「モスラの歌」を歌う姿を覚えてらっしゃる方も多いと思います。二人の見分け方。お姉さんのエミさんには目尻の脇にほくろがあって、無いのが妹のユミさんだそうです。素晴らしいハーモニーは不滅ですね。

2017/04/10 放送分

4月の声と共に日が長くなった帰り道、公園の砂場でトンネル作りに夢中になっている子供達を見かけました。すっかり暖かい季節になりましたね。
  春夏秋冬、日本酒と、日本の心をこよなく愛する森澤喜義です。

1763年の今日は大分県(おおいたけん)にある、秘境(ひきょう)「青の洞門(どうもん)」が開通(かいつう)した日なんだそうです。
手がけたのは旅の僧(そう)、禅海(ぜんかい)。彼は40を過ぎてもなお、悟(さと)りを求めて修行の旅を続け、断崖絶壁(だんがいぜっぺき)の岩肌(いわはだ)がそびえ立つ大分県(おおいたけん)、耶馬溪谷(やばけいこく)にたどり着きます。
細い鎖(くさり)一本を握り締め命がけで渡る村人(むらびと)たち。暮らしのためには渡るしかない現実を見た彼は、「この人たちを救うことこそ己の使命」と悟(さと)ります。
手にしたのはたった1本のノミ。ひたすら掘り続ける禅海(ぜんかい)。
「途方(とほう)もないことだ」と呆(あき)れ返り、全く相手にしなかった村人(むらびと)たちも、やがて一人、二人と加わってゆき、いつしかそれは村全体へと大きくひろがり、不可能と言われながらも、実に30年の歳月(さいげつ)をかけて「青の洞門(どうもん)」は見事に完成されました。
人を想(おも)う慈悲(じひ)の心と信念(しんねん)を貫(つらぬ)く熱い情熱……。
私達の人生の中で、噛み締めておきたい心構えのような気がします。

今宵は、いつもの熱燗といきましょう。
成し遂(と)げる心を培(つちか)う一杯は、きっと新しい情熱を生んでくれるのではないでしょうか。
 

 
【こぼれ話】
禅海和尚は文豪菊池寛の短編小説「恩讐の彼方に」のモデルにもなった人物です。全長、約342m、そのうちトンネル部分は約144m。明治に入り車両が通過できるように工事され、当初の原型はかなり失われましたが、歩行者用道路の一部に、今でもノミの跡が残っているそうです。人間の力……すごい!