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お酒と歴史
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お酒を飲めない人、よく飲む人の呼び名?

お酒の飲めない人や、弱い人を「下戸(げこ)」といいます。
また、反対にお酒をよく飲む人を「上戸(じょうご)」というそうです。

そもそもは、奈良時代に定められた「律令制(りつりょうせい)」による言葉で、当時、「正丁」と呼ばれる20〜60歳の働き手、および納税を担う成年男子がいる世帯を、人数別に「下戸」・「上戸」・「中戸」・「大戸」に分けて呼ぶ習わしがありました。
下戸
成年男子が2〜3人居る世帯
中戸
成年男子が4〜5人居る世帯
上戸
成人男子が6〜7人居る世帯
大戸
成年男子が8人以上居る世帯
その理由としては、冠婚葬祭などで振る舞われるお酒の量が、世帯内の成人男性の数によって厳しく決められていたため、律令制の区分がお酒好きの尺度や強さに使われるようになったそうです。

「下戸」なら2本、「上戸」なら8本のお酒が許されていたそうで、それが転じて、お酒をよく飲む人を「上戸」、あまり飲めない人を「下戸」と呼ぶようになったそうです。
お酒をよく飲み、よく笑う人を「笑い上戸」、涙もろくなってしまう人のことを「泣き上戸」と言います。
お酒を飲んで、普段より感情豊かになり、笑ったり泣いたりした人のことを、そう呼ぶようになったのでしょうね。
誰でも気持ちよく、楽しくお酒を飲むために、お酒に弱い人には無理に勧めず、お好きな方も、飲みすぎは注意です!
日本酒の日

10月1日は「日本酒の日」です。
日本酒造組合中央会が、1978(昭和53)年に、若者の“日本酒離れ”を食い止める為に定められた日だそうです。

なぜ10月1日になったのでしょうか??
理由としては……

 ・酒という字は、酒壷を表す「酉(とり)」が元字であり、酉は十二支でいうと10番目で10月を指す。
 ・酒造家では、10月から酒を造り始めるところが多く、昔から10月1日を酒造りの元旦として祝う風習があった。


上記2つの理由が挙げられ、何かとお酒に関係の深い10月1日を、清酒を多くPRする「日本酒の日」としたそうです。

ちなみにこの日は、「コーヒーの日」・「メガネの日」・「香水の日」・「デザインの日」・「ネクタイの日」・「土地の日」・「ハンコの日」……など、様々な記念日としても制定されています。
歴史的には、「110番」の設置(1948年)や、中華人民共和国の建国(1949年)、東海道新幹線の開業(1964年)などがあった日でもあります。
その他、アルコール関連の記念日では、毎月18日は「北海道清酒の日」、11月1日は「本格焼酎の日」、4月23日は「地ビールの日」、5月28日は「ウイスキーの日」などといったものがあるそうです。

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日本とアメリカの禁酒法

1月16日は、1920年にアメリカで「禁酒法」が施行されたことにちなむ「禁酒の日」です。

「禁酒法」でまず思い浮かぶのは、1920年代のシカゴで起こった、エリオット・ネス対、アル・カポネの仁義なきアンタッチャブルの戦いではないでしょうか。
清教徒(ピューリタン)の影響が強かったアメリカでは、アルコールに対する強い批判があり、20世紀初頭までに、18の州で「禁酒法」が実施されていましたが、この日を境に、アメリカ全土に法律が及んだそうです。
しかし、「禁酒法」時代は、わずか13年にして幕を閉じました。

実は、日本にも「禁酒法」が施行された時代があり、しかも、何度も行われていたそうです。
一番古いとされているのが、646年に発令された農民の「魚酒禁止令」だそうで、758年には農民のみならず、民間人全体に「飲酒禁止令」が発布されたそうです。

その他にも、866年には僧侶の飲酒を禁じる法令が発令され、また1263年には奈良興福寺において「群衆飲宴禁止令」が出されています。
そんなに禁止されてしまったら、楽しみが減って暴動がおこりそうなものですね。

昔のアメリカでは、お酒を合法的に飲むために、医者へ行って治療用のアルコールを処方してもらったり、国会で論議されたりしたそうです。
現代では、どこででも手に入るようになったお酒ですが、当時は大変貴重なものだったのですね。
平安時代の酒合戦

「酒合戦」とはお酒の飲みくらべのことで、古くは平安時代の宮中で行われた、8人の公家衆による御前試合だったそうです。近世では、慶安元年(1648年)に川崎の大師河原で、総勢30名による団体戦での「飲み潰し戦」が行われたと記されています。

また文化12年(1815年)には、100人あまりの参加者による「千住の酒合戦」が行われました。
一人ずつ杯をあけると、記録係が記帳し、柳町の芸妓3人がお酒をつぎ、これを見分役が見届けるという、公式のものだったそうです。優勝者は七升五合飲んだ、野州小山の佐兵衛という人物だとされています。

なお、酒合戦史上での公式最高記録は、文化14年(1817年)に、両国柳橋の万八楼で行われた酒合戦で、芝口の鯉屋利兵衛という人物が、三升入りの盃で6杯(一斗八升)飲んで優勝したと、江戸期の代表的文人であり、お酒好きで有名だった蜀山人が記しています。

近代では昭和2年の春、埼玉県で行われた「熊谷の酒合戦」が有名だそうです。
会費二円五十銭で、参加は自由。優勝者は一斗二升を飲み、第2位は九升五合を飲んだ「おとめ」という、女丈夫だったそうです。第3位は、72歳の高齢者であるにもかかわらず、七升五合飲んだと記録されています。
酒豪は過去・未来と必ず存在するんですね……。
しかし、いくらお酒好きでも、くれぐれも飲みすぎには注意です。
お酒の罰?

その昔、「罰酒(ばっしゅ)」という懲罰があったそうです。

「罰」としてお酒を飲ませるもので、別名を「罰杯(ばっぱい)」とも言うそうです。
「罰酒」のはじまりは古く、平安時代の宮中で、毎年お正月の18日に行なわれていた「賭弓(のりゆみ)」の際、勝者が敗者にお酒を飲ませたことから始まったそうです。

『公事根源』には、「賭弓 是は天子弓場殿(ゆばでん)にのぞみて 弓を御覧ずるなり……勝の方は負の方に罰酒をおこなふ、又勝の方は舞楽を奏す」とあるそうです。

このほか「罰酒」には、酒宴の席で失礼な行為をした者、あるいは酒宴でのお遊びで負けた者に対しても行われたそうです。罰といっても、今で言う「罰ゲーム」のように、賑やかに行われていました。
 
現代でも、巷で似たようなことがたくさん行なわれていますね。
盛り上がった酒宴の席で、ゲームをして負けたものがお酒を煽ったり、「イッキ」などをしたりしていたようですが、急性アルコール中毒や、飲酒運転、未成年の飲酒などの問題が勃発し、現在では厳しい法律が定められています。
また、無理やり飲酒を薦める行為にも問題があるとして、飲酒による人権侵害「アルコール・ハラスメント」も問題として注目を集めています。
同じお酒の罰といっても、「罰酒」というと、なぜか風流に感じられるものですが、
お酒に弱い方には、いつの時代も気の毒な罰といえます。
せっかくのお酒の席……、飲める人も飲めない人も、楽しい時間を一緒に過ごしたいものですね。
お酒の正しい「酒道」?
〜飲み方から酔い方まで〜

お茶・お花の世界……、茶道・華道があるように、お酒の世界にも「酒道」なるものが存在していました。

「酒道」には2〜3の流儀があったそうで、どれもお酒を通して、精神統一を図るのがその神髄とされ、お酒のつぎ方、飲み方、酒膳の配り方に至るまで、なかなか厳しい作法が決められていたそうです。
そして、「酒道」が盛んだった時代には、“こんな堅苦しい酒宴ばかりじゃ、たまらん!”と、ハメをはずして飲むこともしょっちゅうだった武士たちのために、「武士の酒飲み法」という本までもが刊行されたそうです。

その中に書かれた“2日酔いにならない方法”というのをいくつかご紹介すると……

 ・「必ず背筋を伸ばし正しい姿勢で(お酒を)飲むべし。」
 ・「余酔を醒ますときには力抜きて正座し、心を平静にして長唄2曲を歌うべし。」
 ・「(2日酔いには)汁粉…甘酒、飴の類の如き甘味の飲料を、宴前・宴中、及び宴後に摂るべし。」


……何を言ってるやらさっぱりな2日酔い対策ですが、実は、これらは現代医学で説明がつくものばかりなのです。

背筋を伸ばしてお酒を飲んだり、酔った後に長唄を歌ったりするのは、体内に送り込まれる酸素の供給量を多くして、酒精の体内酸素分解を促進させ、甘いものを摂ることによって、アルコールにより低下した血糖値を回復させる効果があるのです。
今では「幻の酒道」となってしまいましたが、500年以上も前に、このような理に適った2日酔い対策があったなんてびっくりですね。
美味しく楽しくお酒を飲むために、自分にあった「酒道」を極めたいものです。
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